古くから、ヨーロッパの王室は、民間人との結婚をすることは許されませんでした。理由の一つにおいては、身分が違うため、そして、国の勢力を拡大するためのに、他国の貴族たちと結婚する政治的な意図がありました。そんな何百年前の習わしは、今でも王室の中で根続いることは確かです。昔から、「王子と民間人との禁断の恋」が物語や映画のラブストーリーになったりしていました。でももうそれは、物語や映画だけの話じゃない!近年ではそれが現実に!
では、民間から嫁いだ、世界のシンデレラたちってどんな人?
🇩🇰デンマーク
フレデリック皇太子 (王位継承順位第1位)1968年5月26日 生まれ
デンマーク皇太子妃、モンペザ伯爵夫人(メアリー・ドナルドソン)1972年2月5日 生まれ
出典facebook
メアリーは、1995年にタスマニア大学卒業後、マーケティングの職に就き、2000年に転職し、不動産会社で働いていました。同年のシドニー・オリンピック開催中、何気なく行ったナイト・バー「スリップ・イン」で、フレッドと名乗るデンマーク人の青年と意気投合。すぐに二人は惹かれあい恋人同士に。しかし、その青年フレッドは王子様だったとは知らずに。
なんだか、そんなような映画見たことありますよね。2002年にはメアリーはデンマークへ移住。ところが、皇太子の恋人がオーストラリア人であることに王室は懸念。すぐさま、メアリーに「デンマーク語を習得しなさい」と指令。そのメアリーも、たった1年半でデンマーク語を話すように。やっと、王室でも認められるようになり、2004年にゴールイン。普通のOLからプリンスに。こんな出会いって本当にあるんですね。
2005年にクリスチャン王子、207年イザベラ王女、2011年には双子のヴィンセント王子、ヨセフィーネ王女が誕生しました。
愛は勝つ!「彼女と結婚できないなら王位を捨てる」とまで愛されたプリンセス
🇪🇸スペイン
出典bazaar.com, wikipedia
スペイン国王フェリペ6世 1968年1月30日 生まれ
スペイン王妃(レティシア・オルティス・ロカソラーノ)1972年9月15日生まれ
民間と結婚することに懸念する王室はスペインも一緒。民間出身の花嫁との結婚に、当時王子だったフェリペ6世(2014年に王に即位)の両親も反対。
さらにレティシアには、高校時代の教師と結婚歴のあるバツイチでもあり、王室との結婚にはかなりハードルが高かった。
すると、王子は、
「彼女と結婚できないなら王位を捨てる」
と、王の座を捨てる覚悟まで断言し、スペイン王朝で初の民間出身との結婚となりました。
王のイスよりも愛されてるってすごいですね。 2004年にめでたく結婚。
2人の出会いは2002年なのですが、2つの説がささやかれています。
レティシアの生い立ちは、ジャーナリストで放送局を創設した父と、看護師の母、そして、祖母もキャスター、2人の妹のうち一人は医師として活躍、もう一人は、大量の薬物を服用し自殺してしまっています。
レティシアのいとこからは、「王子と出会う前にスペインでは違法である人工中絶手術をしていた」と暴露本まで出版されたり、スキャンダルネタを引っ張りだされたり、好感度が落ち気味に。それでも、今もなお、フェリペ王が守ってくれるでしょうね。
2005年に長女レオノール、2007年に次女ソフィアが誕生しています。
🇬🇷ギリシャ
ギリシャ王族ニコラオス・ティス・エラザス1969年10月1日
タチアナ・ブラトニク1980年8月28日ベネズエラ生まれ
ギリシャでは、1974年に王制度が廃止されたため、ニコラオスの父コンスタンティノス2世が最後の国王。
タチアナは、ジョージタウン大学を卒業後、アパレルブランド「ダイアン フォン ファステンバーグ」のPRとして勤務。ある時、バカンスでスキーリゾートへ行き、ニコラオス王子と出会い恋人同士に。そして7年の恋を実らせてめでたく2010年にゴールイン。有名ブランドのPRにいただけあってファッションセンスが抜群のタチアナ妃。インスタグラムを更新したり、ギリシャ料理を世界に広めるレシピ本「A Taste of Greece」も出版、地元ギリシャの職人が作るの小物をローンチしたり、王室に行ってもバリバリキャリアを発揮しています。
🇬🇧イギリス
サセックス公爵ヘンリー王子 1984年9月15日 生まれ
サセックス公爵夫人(メーガン・マークル) 1981年8月4日生まれ
2018年5月にハリー王子と結婚しサセックス公爵夫人となったメーガン。オランラアイルランド系の父、アフリカ系アメリカ人の母との間に、1981年に、ロサンゼルスで生まれました。ノースウエスタン大学では演劇を専攻したものの卒業後、駐アルゼンチンのアメリカ大使館に勤務します。そして、2002年、昼ドラマ「ジェネラルホスピタル」で女優デビューを果たします。その後「新ビバリーヒルズ青春白書」など数々のゲスト出演を経て、2011年テレビシリーズで「SUIT/スーツ」でメインキャストに抜擢されブレイク。プライベートでは2011年に映画プロデューサーのトレヴァー・エンゲルソンと結婚し、2013年に離婚しています。
ヘンリーとの出会いは、16年7月、2人の共通の友人がセッティングしたブラインドデート。ところが王子は、メーガンのドラマ「SUIT」を見ていなく、メーガン自身も、皇室に詳しくなかったようで、それがかえって新鮮だったのか、お互いすぐに惹かれ合い、特にヘンリーは一目惚れだったそう。わずかデートから約1年後、2017年11月に公に婚約を発表。交際中も、メーガンは「SUIT」にも出演中だったので、実際の撮影現場にもヘンリーは遊びに来ることも。
プロポーズは?
プライベートで宮殿のコーテージのキッチンで、二人でローストチキンを作っていたところ、突然王子がひざまずいて、用意していた指輪を片手にプロポーズ。まだ王子が話している途中で「イエス!っていいってもいい?!」と返事したメーガン。すると王子が、「指輪を渡してもいいかな?」「そうだったわね」とメーガン。とてもロマンチックで可愛らしいお似合いの二人。
2018年に結婚し、2019年5月に、第一子アーチくんが誕生しています。
🇬🇧イギリス
ケンブリッジ公ウィリアム王子1982年6月21日 生まれ
ケンブリッジ公爵夫人(キャサリン・ミドルトン)1982年1月9日生まれ
ウイリアム王子と結婚し、ケンブリッジ公爵夫人となったキャサリン。
1982年、航空会社に勤める両親の間にイギリスで生まれました。両親は退職後、パーティ用品の会社を立ち上げ、軌道に乗り中流よりやや裕福な家庭で育ちます。キャサリンは、セント・アンドルーズ大学に入学し、学友としてウィリアムと出会います。大学のファッションショーでモデルを務めたキャサリンに、王子がクラッシュオン、恋に落ちました。もともと二人は他の友人とも一緒のルームメイト(寮)だったため、自然に交際を育んでいきました。公になったのは、2004年ウィンザー家恒例のスキー旅行に、キャサリンも同行し、「未来のプリンセス」として報道が過熱し始めました。2007年に一時破局の噂があったものの、2010年10月に、二人がケニアに旅行した際に婚約。
そのプロポーズの内容は今まで明かしていませんでしたが、ちょうど10年後の投資サミットのレセプションに登壇した王子が、2人のプロポーズのことを話しました。
アフリカは、ダイアナ妃が亡くなった直後すぐに、兄弟で訪れており、王子にとってはとても特別な場所で、片膝をつくには、ケニアしかないと決めていたそうです。
王子は、プロポーズのために完璧な計画を練ったと語り、二人はケニアのプライベートのロッジに泊まり、母ダイアナ妃の婚約指輪だったリングをキャサリンに渡したそうです。渡した時の詳細は話さなかったものの、ひざまづいたプロポーズだったことは言うまでもないですね。
この指輪を渡すために、3週間バックパック(リュックサック)に隠して持ち歩き、なくさないように、どこに行っても指輪がちゃんとあるか毎回確認していたそう。なくなったら大変だからねと可愛らしい一面も。
この公での発表は、「プロポーズのことを忘れないよう、記録に残すため」だそうで、キャサリン妃への深い愛情が伝わります。
2人は、2011年4月に結婚、2013年7月に長男ジョージくんを出産。2015年長女シャーロットちゃんを出産。2018年4月アーサーくんが誕生しました。
🇸🇪スウェーデン
出典hellomagazin.com/facebook,/listal.com
カール・フィリップ王子ヴェルムランド公爵殿下1979年5月13日生まれ
ヴェルムランド公爵夫人ソフィア(ソフィア・ヘルクヴィスト)1984年12月5日生まれ
まるでハリウッドスターのようにイケメン王子で有名なフィリップ王子を射止めたソフィア。
ソフィアは、1984年ストックホルムで生まれで、2004年20歳の時、男性向け雑誌『スリッツ』でビキニ姿を披露、読者投票で「ミス・スリッツ」に選ばれました。その後、リアリティ番組『パラダイス・ホテル』にも出演。ニューヨークに留学後、ストックホルムでモデル業もしながら勉強していました。
出会いとプロポーズは?
2009年に、リゾート地のレストランで、別々のテーブルで昼食をしていたところ、それぞれ一緒にいた友人が知り合いで一緒にテーブルを囲むことに。なんともトレンディドラマのような自然な出会い。
このときにお互いに一目惚れしたそう。フィリップ王子は、「ソフィアに出会って初めて、愛という魔法を知ったと思います。彼女と出会ってから、愛によってどのように人が変わるのか、身をもって体験しています」王子には稲妻が落ちたように人生観が変わったんですね。
順調に交際が続いていたある金曜日の朝、なんと、王子がサプライズのプロポーズ。突然ひざまずき、指輪を取り出したそう。
2010年7月に公に交際を発表しました。もちろんメディアは、ソフィアの雑誌『スリッツ』のビキニ姿で出ていたことやトップレスモモデル、王室は反対だろう!と騒ぎ立てました。どこの王室もプリンセスのアラ探しをするメディア。
2人はすでに同居を始めていて、2014年6月に婚約、2016年6月に結婚式を挙げました。普通は、同居すると、お互いイライラする時もあったり、ケンカして別れたりもしますが、6年も待ったソフィアは頑張りましたね。
この美男美女のカップルには、2016年にアレクサンダー王子、2017年にガブリエル王子の小さなイケメン王子が誕生しています。
法を背いても一緒になりたかった王子
🇬🇧イギリス
ハノーファー王子エルンスト・アクグストJr 1983年7月19日生まれ
エカテリーナ・マリーシヴァ 1986年7月30日ロシア生まれ
王子のエルンスト・アクグストJrは、イギリス・ビクトリア王女の末裔で王位継承権(継承順位405位)を持つプリンス。そしてドイツのかつての王国、ハノーファー王国の子孫であり、父はハノーファー王国の家長エルンスト・アクグスト5世。その父の元妻は、モナコ公レーニエ3世とグレースケリーとの長女であるカロリーヌ王女。
さてロシア出身のエカテリーナは、彼女が19歳の時にファッションの勉強のためロンドンに留学し、デザイナーに。そして、エルンスト王子は、ロンドンで銀行家として勤めていてそうで、二人はロンドンで出会ったそう。
そして、6年間の同棲ののち結婚。その披露宴は、ハノーファー家が所有する19世紀に建てられてたマリエンブルク城で、カシラギ家を始め、王室やセレブなど総勢600人もの豪華ゲスト来席し祝福。しかし、父であるエルンスト・アウグスト5世だけが反対し、結婚式には来なかったそう。理由は、ハノーファー王国では、長男は父の同意を得てから結婚するという1812年に制定された法があるからだと。6年待っても父に認められず、法を破る覚悟で結婚に踏み切った2人。いくらなんでも200年も前の法律、改定すべきかもしれませんね。
2018年2月に第一子となる長女エリーザベト、2019年3月には男児ヴェルフ・アウグストが誕生しています。
そして、結婚式に恋人と出席していたイケメンのエルンスト王子の弟
クリスティアン・フォン・ハノーファー 1985年6月1日 生まれ
アレサンドラ・デ・オスマ 1988年生まれ
2018年終えるーのリマで盛大な式を挙げました。出会いは、2005年に、クリスティアンがペルーに訪問した際に、王子のツアーガイドを務めたのが当時18歳だったアレサンドラ。 二人は友情から恋人同士となり、2011年に公の場にも二人で登場するように。13年の初恋の実らせ、2017年に婚約、2018年11月に結婚式を行いました。今度ばかりは、ハノーファー家の法には抵触しないため、父は出席しています。そのアレサンドラは、モデル経験、また弁護士の資格を持ち、ファッションデザイナーとしても活動する才女。
🇲🇨モナコ
出典unofficialroyalty.com womanfitness
アルベール2世 1958年3月14日 (年齢 62歳) モナコ公国の公
シャルレーヌ公妃 1978年1月25日 (年齢 42歳) アルベール2世モナコ公の妻
シャルレーヌは、1978年生まれ南アフリカ出身。競泳選手としてシドニーオリンピックにも出場した身長177cmのアスリート。2人の出会いは、2000年にモナコで行われた水泳のイベント。知り合った二人は行くたびイベントで顔を合わし恋人に発展。6年後のトリノ・オリンピックには、公に交際がお披露目されました。 シャルレーヌも水泳を引退しモナコへ移住、2010年に婚約しました。しかし、そこは遊び人のアルベール2世。結婚式を目前にして、エールフラスのCA,ジャズミンちゃん1992年に生まれていたこと、2003年にアメリカ人のウェイトレスとの間にアレキサンドラくんくんが誕生していることが明るみに。2003年は交際中の期間?!シャルレーヌもショックで式をドタキャンし逃げようとしたらしいけれど、なんとか2011年7月の挙式は無事に終わりました。2014年には双子の長女ガブリエラ、長男ジャックが誕生しました。
🇲🇨モナコ
ルイ・デュクリュエ(モナコ公位継承順位15位)1992年11月26日 生まれ
マリー・ホア・シュヴァリエ 1992年12月28日生まれ
モナコのレーニエ3世とグレース・ケリーの末娘ステファニー王女の息子ルイ・デュクリエと結婚したマリー。マリーは、ニース生まれのフランス人で母親はベトナム人。
フランス語、英語、スペイン語が得意のトライリンガルでもあります。
さて、二人の出会いは、SKEMAビジネススクールに通っていた頃に知り合い、恋人同士に。
その後、アメリカのウェスタン・キャロライナ大学進学し、卒業後は、モナコに戻らなければならないルイに、マリーもついて行きモナコに移住。マリーは、モナコのエルミタージュ・ホテル勤務しました。
プロポーズは、バカンスで訪れたベトナムのベトナムのフォーシーズンズ・ホテルのビーチ。なんと、ルイがプロポーズした時の写真を、マリーがインスタグラムにアップ!そして公に婚約が発表されました。2019年7月にめでたくゴールインしました。おそらく初恋同士の若い二人を見守っていきたいですね。